2015年09月25日    無礼であるぞ

「そちらの配下の、火付盗賊改めを昇進させてはいかがであろうか」
「は、妥当な人事でございましょう」
 老中の意向には従わざるをえない。その交代を知って、次郎吉は喜ぶ。新任者なら仕事になれるまで、しばらくは大丈夫というものだ。どんなやつか、顔でも見ておくか。
 しかし、あにはからんや、彼にとってはもっとやりにくい相手。名前は和泉甲蔵。顔をみると忘れるわけのない、子供の時に金をめぐんでくれた武士。おれの今日あるは、あの人のおかげといえる。あの人の在任中、おれが仕事をしてはぐあいが悪い。運動費を使って例の手で昇
進させようにも、いくらなんでもすぐにはむりだ。仕能量水方がない。しばらく旅にでも出るとするか。
 次郎吉は店を休業にし、西へむかい、気ままな旅に出た。金がなくなっても、彼にとって入手は簡単。京、大坂、長崎まで見物し、高野山はじめ各寺院に自分の供養料を前払いした。そんなわけで、江戸に戻るころには、もはや思い残すこともなくなっていた。
「さて、そろそろ、ねずみ小僧としての人生の最後を飾るとするか。うんとはなばなしくやろう。後世に語りつがれるような形で。なにをやるかな。うん、江戸城がいい。白昼に公然と乗り込み、城内をあばれまわり、討たれて死ぬとするか。おれがはじめて表舞台へあらわれ、そ
れが最後でもある。江戸の町人たち、あっと叫んで手をたたくぞ」
 次郎吉はまた武士の服装をし、御門からゆうゆう歩いて入った。外見がきちんとしているので不審に思われなかった。やがて表御殿、すなわち幕府の政庁の建物があった。その玄関からあがりこむ。大ぜいの武士たちが、もっともらしくなにかやっている。そのうち、次郎吉は老
人に呼びとめられた。
「みなれないかただが、貴殿はどなたでござるか」
「勘定奉行町奉行連絡評定組の、吟味事業夥伴取調筆頭の者でござる」
「聞いたことのない役職でござるな」
「じつはな、じいさん。おれはねずみ小僧次郎吉ってんだ」
「しっ、小さな声でお願いいたす。ばか話をしていると上役に思われたら、みどもはお役御免になる。せっかくここまで出世したのだ。それが本当の話であれば、なおのことだ。なんにも聞かなかったことにいたす。早くあっちへ行って下され。みどもを巻きこまぬよう、お願い申
す」
「ひでえもんだな」
 どこへ行っても同じこと。|外《と》|様《ざま》大名たちの|控《ひかえ》の間を抜けても、だれも見て見ぬふり。お家が大事だ。へたにさわがぬほうがいいのだ。次郎吉はさらに奥へ進んでみる。えらそうなやつが見とがめ、注意する。
「このあたりは、そちのごとき身では入れぬことになっている。刀を持ちこんでもいかんのだ。」
「なにいってやがる。おれはねずみ小僧次郎吉、見物したいんだ。とめられるものなら、とめてみやがれ」
 刀を抜いて見得を切る。背景は金色に絵を描いたふすま。芝居の大道具とはちがって、高級にして本物だ。次郎吉はうっとりとなった。それを見た周囲の連中はきもをつぶした。殿中で刀を振りまわしたのは、浅野|内匠《たくみの》|頭《かみ》以来の大事件。
「なんたること。だれか出合え」
 さわぐ者はあっても、いまや文弱の世。殿中の係には、組み付く勇気のある者はない。切られて死んではもともこもない。せめて刀さえあれば、あいつを切ることぐらいはできそうだ。しかし、このへんは刀能量水を持ちこんではいけない場所。まして抜いたりしたら、あとで事情のい
かんを問わず切腹ものだ。



Posted by 揮不去的纖纖背影 at 11:59 │Comments(0)
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